1250年頃に始まる後期ゴシック建築は、それまでのゴシック建築の様相とは本質的に異なる複雑な現象である。後期の教会堂建築は、どちらかと言うと小型化の様相を示しており、これによって内部空間の立面を上・中・下と区切る分節は解け、装飾に対する嗜好性が全体の空間に対する意識を凌駕するようになった。フランスの後期ゴシックを特徴づけるのは、全体のダイナミックな躍動感ではなく、細部の技巧的洗練と開口部の拡大である。このような現象の第一歩が1250年から始まるレヨナン式で、これは先行するいくつかの建築物にその萌芽が見られる。
サン=ドニ大聖堂は、シュジェール院長による工事の後、1231年に教会堂はさらに再建工事が行われ、1281年に竣工した。この工事で内陣の上部が建て直され、身廊と袖廊が新規に建築された。身廊はクリアストーリが拡大されたため、トリフォリウムの上が全てランセット窓で構成されており、また、トリフォリウムの外側の壁にも開口が設けられたため、身廊立面の全体が透明な壁と化している。サン=ドニのように質量感を出さないような意匠は、1235年頃に建設されたサン・ジェルマン・アン・レー城館の礼拝堂にも見ることができる。礼拝堂の窓と西側のバラ窓の浮き彫りはレヨナン式の意匠そのものであるが、一方で、二重シェル式壁に特有の(特にブルゴーニュ特有の)特徴をも備えている。
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サン=ドニも含めた1230年から1250年頃の建築物は、レヨナン式ゴシックの前段階にあたるもので、コート・スタイルあるいはステイル・ロワイヤル(宮廷様式)とも呼ばれる。聖王ルイが東ローマ帝国から購入したキリストの荊冠の保管所として、1242年頃に建設されたサント・シャペル礼拝堂は、控壁と鉄製補強材によって、軽やかな内部空間を形成している。ステンドグラスと彫刻は技巧性が高く、レヨナン式ゴシックへの傾向を如実に現している。
パリに残るこの時期の建築物は、ノートルダム大聖堂の袖廊で、1245年から1250年にかけて建設された。トリフォリウムに類似する横に長いギャラリーと、その上部に設けられた巨大なバラ窓、そしてその間のスパンドレルにも設けられた開口部が、壁の重量を喪失させる。また、袖廊のファサードは、後にフランス国内外で模倣されるほどの影響力を持った。
サン=ドニとパリのノートルダムは、トロワ大聖堂の内陣と1236年頃に起工されたストラスブールのノートルダム大聖堂に影響を与えている。特に後者は、レヨナン式の影響を神聖ローマ帝国の領内に拡大させたと言う意味で重要である。オットー朝時代に建設された基礎の上に建設されたストラスブール大聖堂は、ブルゴーニュ特有の意匠を踏襲しつつ、コート・スタイルの要素を取り入れたものとなっており、ファサードについてはパリのノートルダム大聖堂袖廊の影響を認めることができる。
サン=ドニとサント・シャペルで高度に洗練されたレヨナン式ゴシックは、北フランスと南フランス、そしてイングランドと神聖ローマ帝国にまで広がる。同時にイタリアやスペインでは、これに反抗するような意匠も形成されたが、14世紀前半になると、教義的と呼べるほどに体系化された。このため、後期ゴシック建築は、教条的で懐古趣味的と批判されることもある。実際に、1284年に完成したボーヴェのサン・ピエール大聖堂の後陣、1272年に起工されたナルボンヌの大聖堂、1280年頃に起工されたボルドーのサンタンドレ大聖堂、1308年起工のヌヴェール大聖堂など、レヨナン式の教会堂を挙げることができるが、これらには特に目立った形態の進展はない。